24小さな反省



 尋ねようとしたけれど、トリトさんはその前に立ち上がり、持ってきた包丁片手に芋をむき始めている。分かっていたけど……悔しいくらいに上手い。私はむくれた気持ちを隠すために、明るい声を出した。
「お上手、ですね」
 一拍置いて言葉は返る。
「必要でした。妻がいってからは、私が食事を作っていたから」
 
 ……つま、って、妻? え? ってことは。
「……け、結婚? ていうかトリトさん男の人で……あ、や、娘って……え?」
 とりとめのない考えがだだもれになっていることはわかっているんだけど、それでも動揺の方が大きい。トリトさんは芋を剥く手を止めて、私の疑問に応じてくれた。
「妻と娘がいました。蛇になる前は男だったので」
「今は女性の型ですが」と簡単に言ってのけるトリトさん。私は思わず目の前の『女性』を凝視する。
「蛇……って、性別は自由なんですか?」
「通常は生前のものと変化しません」
 じゃあなんで――と尋ねようとした私を遮ったのは、トリトさんの目に宿る強い意志だった。じっと手元を見下ろす表情に気圧されて黙る私に、気づく様子もなく彼女は唇を開いた。
「――あの子を守るには、女性でなければならなかった。母親でなくては」
 ――また、どういう意味だろう。
 包丁を握る手がとまっている。トリトさんの注意が手元に割かれていないように感じて、とっさに名前を呼んだ。声に反応して、緩やかな速度で瞳が私を認めた。
「あの……」
 包丁、と視線を彼女の手元に寄越すと、なぜか微笑された。
「ありがとう」
 トリトさんはそのまま芋を一つ剥ききってしまうと、次を籠から取り出した。私もならって、手放したままの包丁に手を伸ばす。奇跡的に上手くなっていないかなあと期待したけれど、結局剥くというより削り落とすような戦法に落ち着いた。
 ……今更だけど、じゃがいも剥くのって苦手だ。
 やっと一つなんとか仕上げると、息をついて空いた大皿に乗せる。
 視線を感じて顔を上げると、トリトさんが手を止めて私のおいた芋を見ていた。
「よくできました」
 その口から飛び出た言葉にぎょっとなる。
 まだ一つ目で、見た目もでこぼこなのに。しかも皮を落としすぎてちっちゃくなってるのに。
 なんだか、ものすごく恥ずかしくなった。
 私はトリトさんに対して、勝手に苦手意識を持ちそうになっていた。だけど、そうなっちゃうと、色眼鏡を通して全部の言葉を受け取ってしまうことになるんじゃないかな。
 分かり合うための材料を、自分から全部腐らせてしまうところだった。
 ……反省。
 よくできた、と言ってもらえたことをすなおに喜びつつ、私は次の芋を手にとった。
「そういえばこの野菜って、どこで仕入れてくるんですか?」
「裏の畑で。足りないものは町で購っています」
「畑……って、誰の?」
「イーシャ」
 ……。
「イーシャ……って、人形師じゃないんですか」
「……土地を遊ばせておくのがもったいないからって」
 ああ、分かる気がする。
「真面目なんですね」
「真面目なんだ」
 トリトさんは柔らかく笑う。イーシャのことが好きなんだって、彼女のことを話す言葉の穏やかさからすぐわかる。
「いいな」
 トリトさんが怪訝に顔を上げる。私は慌てて首を振った。
「あの、イーシャのこと、すごく好きなんだなあって。仲良しなんですね」
 私の言葉に間をおいてから彼女は「そうですね」と、なぜかため息混じりに言った。
「好き。それに――」
 ――それに?
 首を傾げて待つ私に、トリトさんは言い聞かせるみたいにはっきりと「守らなくてはいけない子だ」と口にした。付け加えて、ひとりごちるみたいに小さな声で
 ……『今度こそ』?
 うまく聞き取れなかったけど、尋ねるのは踏み込み過ぎるみたいでできなかった。
 結局芋の皮むきに戻ったんだけど、もやもやが残って集中できず、最後にはほと
んどトリトさんが代わってくれた。……うん、集中できなかったせいだ。

 トリトさんの包丁さばきを見学しながら、ふと思う。
 トリトさん、優しいんだろうな。
 ううん、実際、優しいんだ。

 ――『少女は脆い』って、言った。
 それはたぶん、心配してくれたんだと思う。
 実感がこもっていたから、誰かが傷つくのを、見た事があるのかもしれない。

 ――ごめんなさい。
 分かっていたのだ。リオールトさんは初対面のどこの誰とも分からない私に、すごくすごく優しかった。イーシャは私の帰還に泣いてくれた。慰めようとした のに、逆に慰められた。ユクさん、ずっと私に気をつかってる。いなくなった私を、ずっと探してくれた。他にも、短い間でたくさんの優しさと親切をもらっ た。
 人も蛇も、優しいって、もう知っていたのに。
 ――だから、傷つくんだ。私の取った行動で、優しいひとたちを傷つけることがあるんだ。

 唇を噛む。
 悪いことをした。ユクさんにも、トリトさんにも。ひどい態度を取った。もうしちゃ駄目だ。


 トリトさんにお願いして、芋の皮剥きの先生をしてもらうこと数十分。なんとか『削る』から『剥く』にランクアップした頃、扉が開いた。
「……芋?」
 かけられた声にぱっと顔を上げる。イーシャの声だと思ったのに、開け放しの玄関にいたのは男の子だった。それも、服はおろか顔までどろどろに汚れたいでたちで、片手にやっぱり泥まみれの上着を担いでいる。
「イーシャ」
 あ、やっぱりイーシャなのか。
 トリトさんは慌てた様子で立ち上がると、泥だらけのイーシャに近寄って、とりあえずぬれ布巾で顔を拭うことにしたらしい。白い肌が見えて、やっと個人が特定できる。トリトさんも大事無いと知ったのか、イーシャを見下ろしながら眉尻を下げて笑った。
「イーシャ、泥だらけで、池のなまずのようですよ。いったい何をしたんです?」
「……畑の脇の古い水道管。直せないかと思って、ちょっと緩めたら……こう、噴出したんだ」
 ――今は止まってる、と付け加えてすぐ、くしゅっとかわいいくしゃみが聞こえた。
「ひびでも入っていたんでしょう。諦めなさい。それより、湯を浴びた方がいい。裏に回って。その格好では家に入れることはできませんから」
 素直に頷くイーシャ。トリトさんが着替えの用意に席を外すと、新しい布巾で顔を拭きながら、イーシャは台所の私をめずらしそうに見た。
「芋、剥いてるの?」
「はい」
 他に答えようもない。こっくり頷く私に、「そう」とそっけない言葉を放りながら、今はよく見える形のいい唇で笑っている。
「がんばれ」
 素直にお礼を言おうとして、なんだか含みのある言い方だと思い皿の上を確認すると、いびつな芋が五個置かれている。ましになってきたとはいえ、客観視するとけっこうな姿だ。
 再度イーシャに目をやると、今度は隠しもせずに笑い声を立てた。
「イーシャ……ひどいです」
「だって、すごいぶさいく……ああ、ごめんごめん!」
「……イーシャはできるんですか?」
 むくれて言ったら、ふふんと笑われた。
「私、できなくてもいいから」
「変な威張り方をしないでください」
 着替えを片手にやってきたトリトさんが呆れ顔で言う。トリトさんと連れ立って、じゃあね、とイーシャはまだ笑ったままの顔で外へ出て行った。
 ――いいな。
 羨ましい。トリトさんに大事にしてもらえるイーシャも、イーシャに信頼されているトリトさんも。
 なんだか、すごくさみしい。


 剥きかけの一つを済ませて、片づけにかかる。といっても使った包丁を洗ったり、腰掛を壁に寄せるくらいだ。エプロンを外して壁にかけ、一息ついたときだった。扉が開いてトリトさんが入ってくる。なんだか差し迫ったような顔をしている。
「トリトさん?」
「――協会へいく。君も来なさい」
 協会? って、なんだろう。訊く前に、急ぎ足にトリトさんはイーシャの部屋に入った。今度は両手に服を携えている。その片方を差し出された。
「これに着替えて。――イーシャも」
 いつの間にか入り口に立つイーシャが、やれやれといった顔で受け取る。
「今回は何?」
「特例会だそうです」
「特例」
 イーシャは顎に手を当てて考えた後、そっか、と小さく言った。
「ハル」
「え? はい」
 いきなり呼ばれてきょときょとする私に、イーシャは薄く笑った。
「見せてあげる」
 ――何を、と訊く間もなく、背中を押された。着替え、と渡された服は、いつだったか、里でヘイミイさんが着ていた服に良く似ていた。


 馬車が走る。隣にヘイミイさん、向かいにイーシャとトリトさん。ユクさんは、御者さんとならんで座っている。蛇は皆長い丈の黒い上下、イーシャだけはゆったりとした白い服だった。色が変わればリオールトさんの貴院服と似ているかもしれない。

 馬の蹄が駆る音ばかりがその場を占める。イーシャは黙って外を眺めていたし、トリトさんはときどきそんな彼女を気づかうような目を向けた。隣のヘイミイ さんだけは、緊張感なく舟をこいだ。私はこれから赴くらしい『特例会』とやらに気持ちを差し向けてはひとりで小さくなる。
 特例、と言われて浮かぶのは、自分の存在だったからだ。
 ……吊るし上げとか、な、ないよね。

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