23家路



 ――うーん。
 私は手を引かれながら、夜道を先行く背中に頭を悩ませる。
 ――気のせいだったら、恥ずかしいけど。
 ……からかわれている、ような気がする。

 白く浮かび上がる石畳をたどって、来た道を戻る。その間も軽口をたたいたり、時どき立ち止まって振り返ってはにっこり笑ったり、こちらの反応を楽しむようなそぶりを彼はした。困惑しながらもいやではない不思議な道行きに気を取られて歩いていたら、細い路地も階段も、驚くほど早く抜けていた。最後の石段を降りて人の通う通りを目の前にしたとき、私は思わず男性を凝視した。
「何かな?」
「……着くの、早いです。行きに通った時よりも、ずっと」
「そう? 私は他の道は知らないけど」
「でも、ぜんぜん違う……」
 男性は私の顔を黙ってみた後、握った手を軽く挙げて、「なるほど」と呟いた。
「楽しい時間を過ごしてもらえたわけだね」
「え?」
「違う?」
 楽しい時間は早く過ぎる――と、そんな言葉が瞬時に浮かぶ。
「……違いません」
 うん、楽しかった。おうちに呼んでもらったり、そこで変なお茶を頂いたり。……気を遣うのを忘れてしまうくらい。
……でも、なんだか恥ずかしい肯定だった。
「……よかった」
 少しうつむきがちに応じられる。私は羞恥芯があったけど、そういうのとは違う、少し憂鬱そうな表情を彼は浮かべていた。その姿が誰かに似ている気がしてとまどうけれど、確認のしようもない。
 男性はすぐに切り替えた顔で「さて、どこまで送るべきかな」と手を引いた。つられて歩きながら、やはり彼の足に従って立ち止まる。
「あの……?」
「ここまでみたいだね」
 前を向いたまま口の端を上げる男性を窺うように背伸びする。不意に手を引かれて不安定になったまま、男性の横に踏み出すと、路地の出口に佇む人影が身じろいだ。
 「お迎えでしょう?」と手を外され、代わりに背中をそっと押された。戸惑って影と男性とを見比べる私に、誰かの影は「ハル」と声を漏らした。
「……ユクさん?」
 聞き覚えのある声。だけど、響きがかたい。
 ……怒っているのかな、私がひとりでうろうろしたこと。
 ――そして、今の今まで探させたのかもしれない。
 罪悪感が湧き上がって、いまだ顔の見えないユクさんに向かって頭を下げた。
「ごめんなさい! ひとりで移動しちゃって……」
 沈黙の後、いや、と戸惑うような声を落とすユクさん。なんだか様子がおかしくて、私は顔を上げた。
 ユクさんの視線は、私と、背後の男性を行き来する。
「――どうして? なぜリトベッテと……」
 リトベッテ?
 はじめて聞く言葉だ。後ろから微かな笑い声が起こらなければ、たぶん聞き返したと思う。振り向くと、男性はユクさんに向けていたらしい視線を私にむけてにっこりした。
「私だよ」
 ――リトベッテ、さん?
 私が反応する前に、彼は続けて言った。
「本当はリリトレラ、だけど。みんなあまり呼ばないんだ」
 それは含みのある言い方だった。ユクさんへの、さりげない皮肉だろうか。
 頭の中で、告げられたら名前をこっそり呟いてみる。
 ……どうして、みんな呼ばないんだろう。
 ――リリトレラ。きれいな響きなのに。
 でも、何か訳があるのかもしれない。
「君は、ハルというの?」
「はい」
 頷いてから、心の中でごめんなさいをする。だけど、いま私は『ハル』なのだ。

 ――ハルでいたい。

 ……今の自分を受け入れがたい自分がいる。そう気付いただけでも、道中ぐだぐだ悩んだ甲斐があったと思える。
 ――私は怖かったのだ。幼くて何もない私しか知らない鬼に、記憶の戻った自分が受け入れてもらえないような気がして。
 今も不安で胸の中はもやもやするけど、視界は晴れた気がする。いろんな事が、いまは正面から見えるはずだ。
 もやもやも、きっと少しずつ解消していける。鬼に会うころまでにはすっきりさせよう。
 それで、そうして、また会えたとき、私の名前を聞いてもらうんだ。
 ――その時まで、ハルでいる。

 あ、そうだ。
「あの、私はなんてお呼びしたらいいですか?」
「名乗ったとおり、がうれしいな」
「じゃあ……」
 ――今日はありがとうございました、リリトレラさん。
 ぺこりと頭を下げる。けど、うまく名前が言えない。舌の上で遊んでしまって、なんだか噛みそうになる。言いなおすこともできなくて、私は気まずい気持ちで顔を上げた。
「はい」
 私と目があうのを待っていたみたいに、ほころんだ口で、そう応じるリリトレラさん。
 穏やかに細められる目を捉えた瞬間、自分の中の小さな疑問がほどけた。

 ――館さま。

 似ていると思ったのは、館さまだ。
 胸が熱くなる。そういえば、こんなやりとりをあの人とも交わした。名前を呼んだら、やっぱりうれしそうだった。あれきり『館さま』になってしまったけど。
 ――今でも、呼んだら喜んでもらえるかなあ。
 顔が勝手ににこにこしてしまう。
 リリトレラさんはぽんと頭に手を置いて、少し撫でた後、じゃあね、とあっけなく背中を向けた。慌ててもう一度お礼を言おうとしたら、強く自分の声を呼ばれて、振り返る。ユクさんが急ぎ足にやってきて、屈みこむように目を合わせてくる。
「――無事?」
 気迫に押されて、私は頷くことしかできなかった。

 行きと同じ内装の馬車に乗り込んでしばらく、ユクさんが溜め息をつきながら頭を下げた。
「……置いていって、悪かった。――だけど、なんであの人と」
「――道に迷ったところを拾われたんです」
 見上げるように放られた質問。責めるような口調に思えて、ちょっとむくれた答え方になったかもしれない。
「置いていった事については、申し訳ないと思ってるよ。その、仕事が――」
「仕事? 蛇のですか?」
「うん。急に要請が入って――フケようとしたんだけど、うるさい人に見つかっちゃって」
 それより、そんなことより。
「――仕事って、どんなことするんですか?」
 いやな予感。案の定ユクさんは言葉に詰ったようだった。だけどじっと見つめると、肩を竦めて首を縦に振る。
「……鬼の討伐。行商の馬車が襲われたって、民間からの情報でね」
「どこですか」
「場所を言っても、君には行けない」
「どうして?」
「今はルートが止められてる。パスがなきゃ通してもらえない。ちなみに、俺も、一時的に許可が降りただけだから、もう返還したよ」
「……あの、どんな――」

 ――どんな鬼でしたか?

 疲れて伏せられた瞼を前に、質問は飲み込んだ。人を大事に思うユクさんに、今、これは訊いちゃいけない。

 どろどろする。討伐された『鬼』が、みんなのうちの誰かだったらどうしよう。
 ううん、面識がなくても、傷ついた鬼がいるってだけで、胸の中がもやもやする。
 溜め込んでおけなくて息を吐いたら、ユクさんと目が合った。

「……そういえば、お怪我はないですか?」
 呟いてから、今更な質問だと思った。ユクさんも少なからずそんな気持ちを持っただろうけど、表情にはせず首を振る。


 イーシャの家につくと、玄関でイーシャが待っている。おかえり、とかかる声が低い。
 「迷子」とか、「要請」とか、そんな言葉をユクさんが告げている。イーシャは「そう」とだけ言った。トリトさんがお茶を淹れている。イーシャはカップを受け取ろうとして、熱っと手を引っ込めるけれど、何事もなかったかのようにお礼を言って部屋へ帰った。
 その後私ももらったけど、普通の温度。
 ……手が冷えてたら、この温度でも熱く感じるかもしれない。
 待ってて、くれたのかな。


 次の日から、外に出るときにはトリトさんがつくようになった。ユクさんは苦い顔をしながらも、イーシャの決定に口を挟む事はしなかった。

 トリトさんは基本的に外出しない人だった。外への仕事はユクさんが行く。
 庭を掃除したり、家事をしたり。たまにイーシャに呼ばれて隣の建物に行くけど、その間はユクさんやぶらりと帰ってきたヘイミイがいつでも側にいた。

 キッチンの床に腰掛を置いて、芋の皮を剥いている。
 じゃがいもとかにんじんとか、お米とか。鬼の里にいた頃はあんまり気に留めなかったけど、食べものはあんまり変わらない。たまに奇抜なものもあるそうだけど、ユクさんによればそういう『変り種』は基本的に裕福な人の口にしか入らないそうだ。
 ……私を置いていることでこの家の家計が逼迫していないかどうかを回りくどく訊いたら、ユクさんはがしがし頭を撫でてきた。
「人形師が食うに困ったら、それは国が傾いてるよ」
 公務員みたいなものだと私は認識した。
 それに、イーシャは『領主のお抱え』なのだ。どんなシステムか知らないけど、お給金もきっと悪くないんだろう。
「お抱え……」
ってどんな状態なのかな。
 ちょうど玄関の扉を開けて現れたトリトさんに尋ねてみると、眉をひそめられた。両手で抱えた籠を棚の下の野菜置き場に下ろしながら、「なぜそんなことを?」と声を潜めるトリトさん。
 ……怖い。ほとんど初めてまともに話す状態で、選ぶ話題じゃなかったのかもしれない。私は引けた腰を悟られないように、掌中の芋に目を落とす。皮を分厚く剥かれたでこぼこな芋の肌に包丁をいれながら、早口に弁明した。
「あの、ちょっと気になっただけです。無理なら――」
 いいです、と続けようとした時、斜め前の腰掛が埋まる。音も無い所作なのに、重圧を感じて手の中で芋がすべった。慌てて握りなおそうとして、もう片手の包丁を顔の前で躍らせてしまう。
 ――どど、どうしよう!
「一度置きなさい」
 冷静な声。少し穏やかなその口調に、はい、と返事をして、腰掛同様低く作られた卓の上に、両手のものを慎重に預ける。何も持たない手を見下ろして息を吐く。気が抜けそうになったとき、斜め向かいの気配を思い出してすぐに顔を上げた。トリトさんの細い面がこちらを向いている。表情は声のとおり、怒っていない。笑ってもいないけど、能面のように固くもなかった。たぶん、これが自然体なんだろう。
 まっすぐこちらを認める瞳は、静かに私を糾弾していた。
「……君は本来ここにいられない。町へ降りて、蛇の機密の内で生活するなんてもっての他です。『イーシャの蛇』というだけで、君にはそれができる。自分が手がけた物であれば、あの子は誰にも渡さなくていい。自分の責任にかけてイーシャはそれができる」
 私、叱られている。ユクさんの元を離れ、ひとりでうろついた事を、無責任だといわれているのだ。
 だけど、不可抗力な要素だってあの場にはあったと思うのだ。素直に反省する気持ちが湧かなくて、じっとトリトさんの目を見返す。トリトさんも逸らさない。
「言いたい事があればそうしなさい」
「……すみません。今度からは、その場からあんまり離れないようにします」
 ――『今度』があると暗に皮肉ったつもりだった。それに気付いてかどうか分からないけれど、トリトさんは瞬き一つで表情を変えずに言う。
「その方がいい。やむをえない場合でも、人目のある場所を選んで待つように」
 私が内心焦りながら頷くと、トリトさんは一拍置いて、ぽつりと言った。
「少女は脆い」

 ――どういう意味?

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