4鬼の首領



 カラは勢いのまま岩場を登りきってしまうと、安全な平たい地面で他の獣たちを待ち受けた。カナは彼らを呼びに行ったらしい。ぞろぞろと、夜の 闇の中を集まってくる獣の群れに、私は見事に涙腺を決壊させた。一応見た目だけでも庇うように尻尾を回してくれるカラに、私はぶんぶんと首を横に振った。
 ――安心したんだよ。
 私のあまりの泣きっぷりに、さっきの子供をなめてやっていた他の獣たちが、気のせいか、いたわるような視線を向けてきている。一番怖い目にあったはずの子供までが、やってきて「だいじょうぶ?」と声をかけてくれた。あまりの情けなさにくずおれそうだったが、何とかカラの首にもたれかかってとどめた。
 何とか立て直して、鼻をぐずぐず言わせるだけになると、今まで黙っていたカナが、「さて」と獣の子を静かに睨んだ。他の獣も、それに習って目を向ける。私は私で、カラに身を引かれてしまった。
 ――え? なに?
 子供は皆から、私はカラに、それぞれ責めるような目を向けられて、二人して顔を見合わせた。といっても、子供は状況をしっかり理解しているようで、私の手を前脚で押さえたまま、地面に鼻を伏せた。何だか、ごめんなさいと言っているみたいだ。私は困惑のまま、一番強い視線を送ってくるカラを見る。怒っているような、悲しがるような、反抗しがたい色をそこに見つけて、ぴんときた。
 ――反省させているんだ。
 そうか、そういうことか。
 私は子供の丸い手を握り返すと、カラに向かって鼻を伏せ……るのはできないので、頭をつけて土下座した。
「心配をかけて、すいませんでした。ごめんなさい」
 フンフン、とカラが鼻を鳴らす。もう一声、と言われている気がする。
「も、もうしません」
 深く地面に項垂れると、暖かい鼻先が目の前に現れる。柔らかい目だ。私はほっとして、カラの首にしがみついた。カナは気にいらなさそうにしながら、子供の方に顔を向ける。
「――ニキ。お前は?」
「ごめんなさい」
「何度目だと思ってるんだ」
 恐ろしい目つきをしながら、結局は甘いのか、やれやれと首を振った。そうしておいて、ニキと呼ばれた獣の子がほっとして顔を上げようとすると、意地悪い顔を作る。
「あとは自分で館さまに申し上げるんだな。せいぜい反省しろ」
 きゅん、とニキは鼻を落とした。
 これで反省会は終わりらしい。


 私はカラの大きな背中に揺られながら、横をとことこ付いてくるニキと時々言葉を交わしつつ、集落を目指した。拙い言葉から拾うに、そこではニキやカラたちのような姿の生きものの他にも、少ないながらカナのようなタイプもいるらしい。そうかやっぱり人じゃないのか、と、今更ながらカナに目をやると、ちょうど目が合ってじろりと睨まれてしまった。でも慣れてきたからか、そうすくみ上がるほどではない。そうだとも。私はちょっとにじんだ目尻をぬぐった。その様子を見ていたニキが、不思議そうに見上げてきた。
「あなたは、あにきのよめじゃないの?」
「はあ?」
 ――よめ。
 ってなんだっけ、あ、そうか、嫁か。
 なんでそんな思考回路になるんだ、と見下ろすと、ちょうどカナがニキを殴っていた。力加減を忘れるほどいやだったのか、肩で息をしている。なみだ目でうずくまるニキにいまいち同情できないでいると、カナがものすごい剣幕で睨んできた。私はカラの首に伏せて、見えない振りをする。カラもそしらぬ顔を装って、それでも愉快そうにしていた。
 ――いや、全然面白くないってば。


 鬼の集落に着いたのは、それから一時間ほど後だった。数少ない建物が暗いので、もう皆寝静まっているのかと思ったら、門を抜けるなり幾つも視線が浴びせられた。夜行性なのか、それとも明かりが必要ないのか。たぶん両方だろうな、と何でもないことを考えながら、カラから離れられないでいる。だって、なんだか、獲物を見るような、残忍な目が向けられているのだ。そう、ちょうど数時間前、囲まれた時のような。
 ――あ、やばい。
 と思うが早いか、もうしゃくりあげる私を横目に、カナが声を上げた。
「やめとけ。これは人じゃない」
 私はこの言葉を、これっぽっちの違和感もなく聞いていた。だって、さっきニキを助けに行った時の動きは、我ながら、自分の中の人というものからかけ離れている気がする。分からないけれど、人というのは、もっと、柔らかくて、傷つきやすくて、何もできない生きものだったはずだ。
いきなり打ちのめされた気分にやられる私を、カラが鼻でなぐさめる。
 カナの言葉とカラの行動に、張りつめた空気が少し緩まっていた。きわめつけに、ニキが大人たちに走りよって、何かを説いたらしい。一緒に帰ってきた獣たちに確かめるように唸った後、彼らの私を見る目がずいぶんと優しくなった。ほっとしてまた泣いてしまった。


 やっぱり夜行性だったらしい。私はすぐその「館さま」とやらにお目通りを願う事になった。やっぱり怪しいからな、と自分で考えて傷つきながら、私は直接、その館に向かった。今度はちゃんと、自分の足で歩いている。久しぶりに踏みしめる地面は、なんだかちょっとぐらぐらしたけれど、でもやっぱり、ここは自分で歩かないといけない気がした。ただでさえよく泣いて、その上ずっとおんぶにだっこじゃ、本当に子供になってしまう。誠意を疑われても仕方がないもの。
 でもカラは付き添ってくれた。ニキを連れたカナも、これには文句を言わなかった。仲間が間違えて私を食べて、死んでしまったら困るからだそうだ。そんなに猛毒入りに見えるのだろうか、いや、この場合はそれでいいのだが。
 悶々と考える私を、カラは気遣いながら、背に乗せようとはしなかった。意志を尊重してくれるらしい。やっぱり優しいな、と涙ぐんだところで、目的地に到着だ。私はぎゅっと、顔を拭った。


 出迎えてくれたのは、女の人だった。いや、この人も獣なのだろう。カナタイプだ。私の視線で全てを理解したのか、カナはうんざりしながら、女性に言った。
「カナフシが参りましたと、お伝えしてくれ」
 カナフシ。カナのフルネームだ。さっき獣たちと話している時に聞いた。それにしても、こんな名前の虫がいたような気がするけれど、実際どうなのだろう。誰かに聞いてみたいが、後が怖いな。
 女性は了解している、というように頷いて、私たちを招いた。私はカナを真似て靴を脱ぐ。そういえば、私は靴を履いていた。艶のある黒色で、ぴったりと足になじむ造りをしているが、動き回るのには向いていないかもしれない。カナは革で結んだサンダルだったが、こちらはずいぶん歩きやすそうだった。獣の集落と言うから、もっと原始人な感じを想像していたが、文化はわりと発展しているらしい。板の間を案内されながら、壁に取り付けられた蝋燭に感動する私に、カラは優しい目で寄り添った。獣たちへの配慮か、廊下も広く作ってあるのだ。


 その人を見た瞬間、私は硬直した。
 カナが先に部屋に入って、儀礼めいた挨拶をしていたが、すぐに私も中へ呼ばれた。カラも続くと、ニキをひとりにするのもなんだということで、結局皆お邪魔してしまったのだが、それでもずいぶんスペースが余る。一部屋でこうだと、ひとりで住むにはずいぶん広い家だろうな、と頭の端で無理やり考えながら、カラにうながされて座敷に正座する。
 ――うわあ、うわあ。
 私は胸の鼓動が急に早まるのに、泣きそうな時とは別の焦りを感じていた。
「館さま。ただいま戻りました」
 カナは恭しく頭を垂れる。その先の人物――館さまは、肘掛にもたれたままでゆったりと微笑んだ。
「ああ。おかえり、カナ」
 ――美声!
 あわあわなる私を、カラが後ろから支えてくれる。体の大きさから自然と大ぶりになる動きに、館さまがこちらに目を向けた。蝋燭の明かりを溶かし込んだ赤茶色の目が、じっと、窺うように私を見る。そうされるうち、館さまを含めた視界がぼやけてくるのを、私は死にそうな気分で眺めていた。
「――彼女が、お客さまだな」
 館さまは私を見つめたままやんわり笑った。宥められている気がして、落ちつかなくちゃと思うものの、出かかった涙を止める術はなく、ひと粒ぽたりと膝に落ちた。残りは何とか手で拭うのだが、きりがなくて、私は自分でこの泣き癖に途方にくれる。それに、こういう時まっさきに伸びてくるカラの鼻がやってこないので、見放されたような気になって、余計に動揺した。
 ――もう、死ぬ、かも。
 そろそろ我を失いそうになった時、つい、と、冷たい指が火照った顔に触れた。まぶたごと優しく涙をすくわれる。そうされると、不思議な薬のように、私の焦りは勢いを弱めた。
 おずおずと目を開けると、たいそう美しい人が、すぐ間近にいたけれど、なでられてひんやりする頬が心地よいので、私はそのままでいることにした。ぽんと頭を引き寄せられて、そのまま胸を貸してもらう。
「驚かせて、悪かったね」
 声と同じに優しい手が、背中を宥めてくれる。泣いてもいいんだよ、と言われている気がして、私はゆっくり涙を落とした。泣く事がめずらしく本来の目的を果たしたのか、だんだんと冷静さが帰ってくる。情けないなあ、とか、申し訳ないなあが、恥ずかしいなあに変わるのにも、そう時間はかからなかった。
「あ、あの、もう大丈夫です。ごめんなさい。ありがとうございました」
「うん。本当に平気か?」
 耳もとで優しい声を降らされて、私は正直返答に迷った。だって、ものすごく居心地がいい。恥ずかしいのは確かだけれど、不思議とそれが涙腺に飛びついてくることはなくなっていた。泣きに泣いて、ちょっとは成長したのだろうか。
 ちょっと時間稼ぎに考えた後、私はゆっくり顔をあげて、ありがとうございましたともう一度告げた。赤茶の目は、勘違いでなければちょっと名残惜しそうに、それでも優しく細められた。


 カラの視線が痛い。普通はカナに睨まれるところだと思うのだが、そちらは不思議と、めずらしく――初めて見たが、穏やかそうな顔で、館さまと話している。会話の内容はもっぱら私の処遇で、本来私もそちらに混ざるべきだと思うのだが、カラに睨まれたカナが、そこにいろと連鎖で私を睨んだのだった。
 ――そりゃ、改めて話す内容もないけれど。
 だって覚えていないもの。私はしゅんとなりながら、すぐ泣きそうになることはなかった。お館マジックのたまものだ。それでも、ちょっとの表情の変化でなぐさめにくるカラは、やっぱり優しい。甲斐甲斐しい獣に甘えて、背中に取り付くと、お返しとばかりにぐりぐりと頭を押し付けてきた。とりあえず私のせいで待たされているニキは、また何か考えるように私たちを見ていたけれど、あっと言って顔を上げた。
「わかった」
「……なにが?」
 ニキは他の獣たちよりも、喋ろう喋ろうとする。カラは億劫なのか、あまり言葉を使おうとはしない。個体差があるんだなあ、と見返すと、ニキはしたり顔に口を開く。ちょうど館さまの方も話が終わったのか、その声は室内によく響いた。
「カラのほうのよめなんだな!」
 いつのまにか飛んできたカナは、あの時の二割り増しの勢いで、ニキの頭を殴りつけた。とばっちりで睨まれた私は、ついなみだ目になる。
 ――成長したと、思ったのにな。
 カラは肯定も否定もしないで、私の顔をべろんとなめた。目が合うと、考えの読めない顔で笑っている。優しいけれど、食えない大人だ。
「や、館さま?」
 カナのぎょっとした声にそちらを向くと、館さまはこの一幕で全てを悟ったのか、体を折ってひいひい笑っていた。ひとしきり笑い終えると、状況が分からずに呆然とするニキに一言告げた。
「ニキ、お前のお咎めはなしにしよう」


 話し合いによると、私は幸運にも、この集落にお世話になる事になったらしい。しかも、館さまと同じ屋敷にである。これには驚いたのだが、人型の絶対数が少ないため、ほとんどまとまって暮らしているらしい。身体が変われば暮らしも変わる。生活習慣の差は仕方がないのだろう。他の家に世話になるにしても、いきなり押しかけたら普通は断られるだろうし。
 それに特例として、カラもカナと一緒に、この屋敷に寝泊りしているらしい。
 二人が行ってしまった後、私はこれを聞いて驚いた。仲が良い仲が良いとは思っていたけれど、まさかそんなにベタベタだったとは。カラにくっついて、カナが怒るわけだ。そういうふうに言うと、館さまはまだ笑いの抜けない顔で教えてくれた。
「あの子たちは、兄弟だよ」
「え? でも……」
 見た目が。いや、見た目の問題ではない気がする。館さまはくすくす笑った。
「正真正銘の双子だよ。なにせ同じ殻に入っているのを、私が割って取り出したのだから」
 鬼というのは玉子から生まれるのか。しかも二体。
「生命の神秘ですね」
 言うと、館さまは変な顔をして、何も言わずにまた笑った。


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