18蛇人形



「また来よう。事情は伝えておくよ」
「ええ。お待ちしてます」

 冷めたお茶を飲み干すと、リオールトさんは席を立った。イーシャも立ち上がる。私もそれに習った。
 ついていこうとする私を振り返って、彼はイーシャに言った。
「彼女をよろしく」
 彼女って誰だろう、なんてボケをかますわけにもいかない。私はイーシャに向き直って頭を下げた。上から手が降りてきて、下げた頭を撫でられる。
「がんばれ」
 涙腺って脆い。
 私は心の中で大泣きする。 外に出すのを堪えられるようになった自分に気づいて、ちょっとしんみりする。

 結局玄関まで見送り、その時はたと思い出して鍵を返した。鍵は小さな物なのに、手渡したとたんに身体の中の何かが抜け落ちたような落ち着かなさを感じてしまう。それが不安だと気づく頃には、リオールトさんは背中を向けて馬車へ歩き出していた。

 木立の先へ見えなくなった馬車の轍を見つめて動かない私を、室内へ誘うと、イーシャはすぐ振り向いて、私の目を見たままで「これからよろしく」と手を差し出す。彼女の手と顔とを見比べて、私は慌てて頭を下げた。
「……あの、私、お話を聞けたら、すぐ帰ります」
 イーシャは長い沈黙を通した後で、私の手を取った。顔をあげたら、眉をひそめた表情があった。
「本当に、全然、覚えていないの?」
 頷いた。イーシャはため息をついて、握ったままの手を引く。私は誘導されるまま、居間のソファーに同じように腰掛けた。向かいのイーシャはこちらを注視する。目を逸らしても視線だけは感じるので、ものすごく居心地が悪い。
 何なんだろう。私、まだそんなにまずいことをしていないと思うんだけど。
 張りつめた沈黙のままより、詰問された方がまだ幸せだ。いややっぱりそれもいやだ。
 私が変な汗をかき始める頃、ふと視線が外されるのを感じた。ちらと正面を見やって、鼓動が跳ねる。
 イーシャは泣いていた。

 頭の中が真っ白になる。何もできずに見つめると、イーシャは顔を手で覆って、肩を揺らし始めた。
 指の間から漏れ聞こえるのは嗚咽だ。
 目の前で泣かれた時って、どうしたらいいんだろう。

 ――里のみんなは、どうしてくれた?

 私は意を決して、テーブル越しの彼女に手を伸ばした。

 触れた髪は柔らかかった。少し癖があって、あまり櫛を通さないのか梳く指が引っかかる。指先で解しながら、毛先に向かってゆっくり撫でる。
 イーシャは戸惑いあらわに私を見上げた。私は動揺する。何かおかしい事をしているんだろうか。それとも、号泣の原因は私で、こんなことされても却って不愉快になるだけなのかも。
 私はすかさず手を引っ込めて、ソファーに座りなおした。イーシャの赤く腫れた目を向けられて、なんだかまずいことをやらかした気分でいっぱいになる。
「ご、ごめんなさい」
「え?」
「私、どうしたらいいか、分かってなくて」
 小声で泣き言をぼやく私に、イーシャはなぜか慌てた様子で首を振った。
「違うの」
「違う?」
「そう。……嬉しかったんだよ。慰めてくれて」
 イーシャは「分かった?」と確認して、私が頷くとほっとしたようにソファーにもたれる。息を吐いて口を開けた。
「……ずっと探してた。もう見つからないって言われても、諦められなくて」
 何の話だろうと首を傾げたら、イーシャの真っ直ぐな視線が悲しそうに揺らいだ。
「蛇人形師は、クスリコは、命を借りる仕事だから、絶対に、蛇を失くしちゃいけないんだ」
 蛇? 鬼を睨むっていう、四つ角の像のこと?
「あなたは、その人形師なの?」
 イーシャは頷いた。その『作品』を実際に見たわけじゃないけれど、こんなに若いのに職人なんだ。尊敬してしまう。
 どう上に見積もっても、せいぜい私より二つ上くらいの年頃の少女の顔を眺めながら、その表情が曇る理由を考えて、はたと気付いた。
「……でも、像がなくなるって、珍しいですね」
「像?」
「像じゃないんですか?」
 私はここへ来る時に通った四つ角について伝える。イーシャは首を振った。難しい顔。
「あれは確かに蛇を象徴してるけど、本当に、ただの蛇の像だよ」
 そりゃあ、像が生きているなんて思っていません。
 イーシャは神妙な顔でテーブルの上に手を置いた。
「あの像は、足の無い蛇を模している。私の言う『蛇』は、蛇人形のこと。人の形で、息をして、食事を取って、眠って――外敵を滅ぼす」
 冗談みたいだけど、未来のロボットはご飯を食べるかもしれない。ボディーガードにだってなるかもしれない。
 イーシャの――『人』の技術って、実はすごいのだろうか。

 へえ、と驚きながらも頷き返す私に、イーシャは下から視線を寄こした。きょとんと見返すと、その唇が小さく震える。歯列の隙から赤い舌がちらりとのぞいた。
 蛇は、『蛇』というからには、舌が二股に分かれていたりするのかな。
「君だよ」
「え?」
「――君は、蛇なんだ」


「……私が?」
 返る首肯。辛そうに伏せった黒い双眸を目の前にして、私の心は少しのさざ波を立てる。
 だけど、それもすぐに凪いだ。

 イーシャは私を人形だといった。職人技の生き人形。 職人はイーシャ。
 突飛なことのようで、それは私に矛盾を感じさせない。
 人でなく、鬼でない、別のもの。
 ……納得してしまう。

 私はほっと息をついた。
「――そう、なんだ」
「驚かないのか」
 イーシャの方が目を見張る。私がショックを受けると思って、辛い顔をしてくれたんだ。
「驚きました。すごい技術ですよね。考えるロボットとかは聞いたことあるけど、本当、まるで……人みたい」
 ――そして鬼のよう。

 自分の手をグーパーしながら、違和感に気付いて顔を上げた。
「私が人形だとして、この記憶は何なんでしょう。私、覚えてないけれど、懐かしいと思うことはあるんです」

 イーシャは説明してくれた。
 蛇人形師は魂の入れ物を作り、そこに死者の魂を招いて『人形』を完成させるのだそうだ。
 つまり私は――

「死んでるんですか」
「死んでいた、だよ。死にきれない魂――ミグルを誘い、生前とよく似た形を示してやると、未練を抱いたミグルはよくなじむんだ」

「そっか、そうなんだ」

 すんなり答えを返したイーシャは、何度もうなずく私に、怪訝な目を向けた。

「……君は平然としているように見える」
 怪訝な視線に、私は少し考えて口を開いた。
「私、自分が人じゃないのはわかっていました。だけど何かはわからなくて……だから、今、ほっとしてるんです」

 ――そうだ。
 ニキを追いかけて崖の斜面を駆けた。真夜中の獣道を走った。足も耳も目も、私の中の懐かしい『人』という言葉を裏切っている。
 それに私はカラや館さまやミノクシや、カナが、好きで、だけど、彼らは人が嫌いなのだ。正直私は安心している。

 ほっとする気持ちの横で、同時に生まれる濁った感情にめまいがする。
 ――私、いつの間にか人を差別しているんだ。
 この気持ちは、鬼の里を出るきっかけとなった想いを、自分自身で裏切っていることになる。
 自己嫌悪。
 だけどそれに浸っている間はないのだ。
 訊こう。私のこと。蛇人形のこと。
 イーシャは私を知っている。こうして向き合える今の時間は、すごく貴重なんだから。
「イーシャさん」
「イーシャ」
「……イーシャ、教えてください。あなたはどうして、私を作ったんですか」
 黒の瞳は揺れたけれど、じっと私の問いを受け止めた。
 イーシャの唇が開こうとした、そのタイミングで、ギイと高く、鈍い音。私が招かれたのとは違う、奥の扉が、開いたのだ。

 現れた姿に、私は目を見張る。

「――イーシャ」

 そこに立っていたのは、銀の髪の少女だった。見覚えがあるボブカット、青の瞳。名を呼ばれたイーシャは、彼女の姿を見て、少しだけ苦い顔をした。
 その理由を追求する余裕は私にはない。
 少女は真っ直ぐに私を見つめて、注視したまま、扉を後ろ手に閉める。イーシャが彼女に何か言うけれど、聞き取れない。

 彼女は、鬼の里の――

 口を開くのは少女が先だった。
「イーシャ、この子、ベリダで見た」

 視界の中、イーシャの瞳が伏した。
「訊くつもりだった。もしかしたら、君かもしれないと、この子に聞いて思った」


「――君はどうして、鬼の集落にいた?」

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