14人の里へ



 ――私の責任だと少女は言った。

 彼女は手を尽くしたけれど、ついに失くし物は見つからなかった。諦めなさいと告げた時、彼女は初めて強い意志で私を睨みつけた。

 「――あれは私の人形なんだ」



 里を出るのに夜は危険だからと、昼のど真ん中に私はカラの背中に跨った。送ってくれるらしい。
 どこまでと聞かれて、私に分かるのは、あの場所、一番初めに目を覚ましたあそこだけだった。


 夜のうちに、館さまから他の鬼たちへ、話は通っていたらしかった。
 セミナさんは早々と目を覚ました私の着付けをしてくれた。すごく動きやすそうな服。私が初めに着ていた服も、靴と一緒に渡してくれる。ミノクシは跳ねた私の髪を撫でた。いっそぐちゃぐちゃに混ぜてくれた方が思いきれた気もする。
 クノマリさんは鼻で挨拶してくれたし、ニキはめいっぱいしがみついてくれた。

 カラは何も言わなかった。だけど、その目が怒っている事だけは分かった。
 朝、顔を合わせた時、噛み殺されるかと思うほど、強く睨まれた。それからずっと、私を乗せて里の門をくぐる時も、断崖を走る時も、狭い獣道を広げて、緑の草むらを行く時も、カラは黙ったままだった。
 相談しなかったことを怒っているのかな。
 それとも、人を知るために出て行くこと自体が、鬼のカラにはいやなのかもしれない。

 草の丈が短くなる。カラは走りを緩めて、そのまま止まった。しがみついていたい腕をなんとか解いて、私はしゃがんでくれた獣の背中を滑り降りる。獣の躍動が後引いて、一瞬よろめく身体を、カラにもたれないように立て直してから、振り向いてそっと太い腕に触った。
「カラ、行ってきます」
 もうカラは睨んでいなかった。瞬きを何回もしながら、情けない顔をする。
「すぐ、帰ってきていい」
「うん」
「おそわれたら、呼んでほしい」
「うん」
「ハル、おれはお前が好きだ」

 私だって好きだ。大好きだ。

「うん。私も」

 好きで好きで仕方なくて、離れたくない。ずっと側にいたい。

「またね、カラ」

 カラは何も言わなかった。ぎゅうと腕と首の間とで、私の身体を抱きしめてくれる。すごく息苦しいのに、それよりも寂しさの方が募った。
 「カラ」と声をかけると、ゆっくりだけど確実に、締め付ける力が抜けていく。カラの閉じた瞼が顔のすぐ側にある。さすると、掌に顔を押し付けてくる。柔らかくて暖かくて、とても大きなこの獣が、まるでニキと同じくらいの子供みたいに見えた。
 だけどそれはきっと、私の離れがたい気持ちがそう見せているんだろう。
 私はぎゅっとカラの首にしがみつく。これで最後。今は最後。

 私がゆっくり身体を離すまで、カラは身じろがずにただ私の動きを見守ってくれた。

 カラを見つめたまま後ろに下がる。もう手を伸ばしても触れられない距離を取って、手でさよならをした。
 何か言ったら、きっと別れられなくなる。

 ――バイバイ。カラ。

 私は目を閉じた。風がふわりと髪を撫ぜる。今目を開けたら、きっとあの鼻先が目の前にある。あの優しい瞳が、私を見下ろしている。

 私は間違って開いたりしないように、硬く硬く、目をつむった。


 冷たい風が、横から吹きつける。
 目を開けると、カラニシはもう姿を消していた。


 足を着いて、自分の靴がとても歩きにくく感じた。
 人の集落がある方角はカラに聞いていたから、ひたすらそちらの方へ進む。
 日が暮れて、夕方には初めてカラと会った時の事を思い出して涙ぐんだりしたけれど、夜になると、もう歩くしかないんだ、という諦めのような気持ちが胸に宿る。
 それにしても真っ暗だ。
 方角を知る知識はないから、月があっても指標にはならないんだけど、明りにくらいなったんじゃないかな。

 不意に前方に気配を感じて、私は足を止める。

「忘れ物だ」

 誰だろう、と思った。声をかけてくれる生き物には、鬼の他に当てがない。心細さが込み上げそうになるけれど、必死に蓋をした。
 カラやミノクシよりも低い声。クノマリさん?

 月明かりがなくて、じっと目を凝らした。人の形、だけど、背丈はミノクシよりもない。館さまは、こんなにそっけなく喋らない。
 暗闇に慣れた目は、すんなり現れたその形を捉えた。私は、一瞬切なさを忘れた。

「……か、かかか、カナ?」

 私の狼狽ぶりが気に食わないらしい。だけど指摘したら余計に機嫌を損ねそうだったから、私は黙った。

 カナはサンダルを持っていた。あ、あれ、まさかと思うけどカナが用意してくれていたんだろうか。
 迷ったけど、口を開くことにした。もう、そんな機会はないだろう。
「あの、いつも縁側の下に履物を置いてくれていたの、カナ?」
 無視されたけど、しかめっ面が酷くなる。これが答えだ。たくさん睨まれたから、知ってる。否定しない時は、あってるってことだ。
 きっと館さまに言われて調達とかしてくれたんだろうな。
「ありがとう」
 ぎょっとされた。足元に気をつけながら近づいて、その手からサンダルを受け取って、もう一度言った。
「ありがとう。すごく、うれし……」
 言いながら、喋りにくくなって、なんだろうと思ったら、カナの顔がにじんでいた。だけど不思議とカナがこちらを睨んでいることだけは分かった。
 睨まれて安心するなんて、おかしい。
 だけど、カナはきっと、私が泣いても、泣く前と変わらず私の事が嫌いだ。だからだろうな。気が抜けてしまう。

 私はひとしきり泣くと、すっきりとした気持ちでそこに立っていたカナに手を振った。
「じゃあ、行きます」
 背を向けて歩き出す。夜道は危ないから、足元の見極めが厄介だ。特に今夜は月がない。

「前を見て歩け」

 聞こえない振りをした。実際私の空耳だと思う。
 そうでなくては困る。
 私はカナの言葉に逆らって上を向いた。深く深く先の無い闇空が、どろどろに歪んだけれど、これは流してはいけないものだ。


 歩いて歩いて、夜が明けた。木々の間から差す日が眩しい。東に向かって歩くように言われたから、後ろ側に影が伸びる今の状態で間違っていないはずだ。
 ほっとすると、両足のくるぶしがじんじんしてくる。
 不思議と足は棒になっていないんだけど、靴擦れができていて、それがサンダルに履き替えた後も痛いんだ。
 気が付くと、木の伸びる間隔が広くなっている。たぶん、ここはもう人が踏み入っている。特に痛い右の足を引きずるようにして、私は少しずつ前に向かって歩いた。

 地面の色が変わって、四角く切られた石畳が土ぼこりを被っているのを見つけた。
 ――広い道。
 林の中の一本道は、結構広くて、獣が並んで走れるくらいの幅があった。
 ほっとして、私は道の端にしゃがみ込む。
 少し休もう。


 蹄の音に飛び起きた。
 遠くからだんだん近づいてくるそれに、道の端から、より森への際へ寄る。草に足が絡む感触にほっとしながら、鋭い痛みにそれも飲まれた。靴擦れは酷いみたいだ。
 森の声を切り裂いて、木立の向こうからやって来る。これは――馬?
 私は呆然とした。
 二頭の馬に引かせた車が、けたたましい音を立てて石畳をやってくる。と、御者らしき人物がスピードを緩めて、私まで五メートルというところで止まった。
 男はこちらを認めて、「おい」と声をかけてきた。

「え? 私、ですか?」

 ――ひ、『人』?
 頭の中が真っ白になる。心臓だけが元気で、ドクドクうるさい。

「そうだ。お前見たところコウギルの者らしいが、こんな所で何をしている」

 コウギル? って、地名?

「あ、え、えっと、あの……」

 そんな、ああそうだ、当たり前だ。普通、町とかたくさんあったら、名前付けないと混乱するよね。なんで訊いとかなかったんだ私。
 どうやって場所を確認するつもりだったんだろう。いきなり里を出て、人里に下りれば何とかなるかなって思ってたのかな。バカ。私ばかだ。どうしようもない。

「う、ううっ」

 泣けばどうにかなると思っているあたりが一番ダメなのに。
 昨夜もカナの前でかなり泣いたのに。
 そう思うと余計に涙腺にひびが入って、私は盛大に泣いた。


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