33わずらう



 私たちはそのまま夜明かしした。木の根本に寄り添ってだ。
 本当は傷だらけのカラを早く連れて帰らなくちゃいけないとわかっていたけれど、カラがいやがった。
 それならせめて川の水で体の汚れを落としてほしかったけど、それもだめだという。

「夜はひえるから」

 私は一瞬言葉に詰まった。獣は昼夜を問わず水浴びして、そのまま外でごろ寝したって風邪一つ引かない生き物だけど、今のカラは。

「その、ごめん。そうだね。傷に響いたらよくないよね」
「……ちがう。おれじゃない」

 カラはぷいと背を向けて、のしのしと手頃な幹の下に行き、丸まってしまった。

 怒らせた?

 私はおずおずと彼に近づくと、少し離れた木の背に座り込む。

「ハル? どうした」
「え? なんでもないよ」
「……ハル、変だ。意味がない」

 カラはひょいと体を起こして私の腰に鼻をぶつける。その遠慮のなさに、私は涙腺がゆるむのを感じた。

「い、意味?」
「そこより、おれの方があたたかい」
「……いっていいの」
「うん、その方がいい」
「あ、あのね。……ありがとう」

 カラは変な顔をした。怒っていなかったのだ。私はそろそろと獣のそばに行き。その背中に顔を寄せた。毛の中に鼻を埋めると、当たり前なのだが、確かにカラのにおいがした。

「う、うう……」
「ハル?」
「う、ぐすっ」
「な、何で泣くんだ」
「か、ぐすっ、カラ、好きだよ。だ、大好き。っ食べちゃいたいくらい好き」

 ぐう、と獣は困ったようにうなる。そうだよね、何言ってんだって感じだよね。
 カラは覚悟を決めたように、毛に取りすがって泣く迷惑な私に顔を上げさせると言った。

「お、おれは、食わないぞ。食われるのも、こまる」

 か、かわいい。


 翌朝。早朝だ。私は馬上……ではなく、獣の上に乗っていた。

「!? えっ、カラ、何、なんで」
「落ちないように寝てろ」
「いや、おりる。自分で歩けるよ」
がっちりとたくましい首に回していた腕をほどく私を、カラはうなって止めた。

「寝てろ」
「は、はい……」

 離したばかりの手を戻して、私はおとなしくはりついた。

 ……そういえば、夢の中でカラに起こされたような気がする。じゃあ私は自分でこの背に乗ったのか。
 カラはやりづらいだろうに、私を起こさないように慎重に歩いている。それは、私を連れて歩くよりは確かに早いだろうけど、カラはきっと、そんな理由じゃなく。

 ――私を休ませてくれたんだろうな。

 申し訳なく思う。情けなく思う。
 だけどそれより嬉しくなってしまう。
 あんなに自分をおんぶにだっこと責めたのに、私はいまだに、一目見たときから変わらずこの獣を頼ってしまう。まるで親鳥を忘れられないヒヨコのように。

 ――親子、かあ。

 私は目を閉じて、その太い首に額を押しつけた。


「た、ただいま戻りました……」

 おかえりと迎えてくれた館さまと、カナ、心配そうに集まってきた鬼達の姿を獣の背から見下ろした。
 せめて里に戻る前におろしてというのに、カラは許してくれなかったのだ。
 館さまが近づいてもツンとそっぽを向いて私を相手にしない。

「カラニシ、元気そうで何よりだね」
「うう、おろしてってばあ……」
「……」

 カナはじっと弟を見つめ、ため息をついて私を呼んだ。

「お前、あとで話がある」
「……カナ」

 責めるようなカラの声を無視して、カナフシはスタスタと言ってしまった。

「カナフシも安心したんだろう。怒らないでやってくれ。それとお前も、いい加減綺麗にしてからその子を乗せなさい」

 カラは不服そうだったけれど、頭領に言われては無視もできなかったのだろう、やっと私の顔を見た。

「おりたいのか」
「……傷の手当をしてから、また会いたいな」

 顔色を伺いながら答える私に、獣は仕方なさそうに尻尾を縦にぱたんと振ってしゃがんでくれた。

「ありがとう。……あのね、またね、お昼一緒に食べようね」

 ぐるると思案し、やがて大きな頭でこくんと頷くと、いつの間にか後ろで待ち構えていたセミナさんに連れられて行った。不機嫌そうなカラを優しい目で見ている彼女が、なぜだか心に引っかかった。


「ほら、お前も飲め」

 私も体を清めさせてもらったあと、井戸のある裏庭にカナと来た。切り株に向かいあって座ると、妙な感じである。カナから渡された大きな木の椀を受け取ると、白くとろりとした中身が湯気を立てている。甘粥だ。口にすると独特のくせのある甘みが染み込んだ。

「……おいしい」
「どうせ何も食っていないんだろう」
「うん、生き返る。ありがとう、カナ」

 カナは別に、と自分の分を口にしたけれど、難しい顔をしてすぐ飲み干した。私は好きだけど、カナには甘すぎるのだろう。
 ……優しい。

「何を笑ってる」

 怪訝な顔をされて、私はなんでもない、と首を振る。カナはまた「飲め」と、今度は私に飲み物の筒をまるごと押し付けた。

「……カラのこと、悪かったな。助かった。連れ戻してくれて」
「ううん。無理やり追いかけただけだから」
「それで怪我をしたのか」
「え、あ、ちょっとしくじったの。全然たいしたことないんだ」

 私は驚いて、大げさに包帯を巻かれた腕を振って見せた。こういう失敗をした時は、たいていセミナさんがやってくれるのだが、今回は別の鬼だった。

 ……。

 ……本当をいうと、一晩明けて全身がジンジンと熱を持つように痛いのだが、カラの怪我に比べれば、それこそ比較にならない軽傷なのだ。自業自得だしね。

「お前はもっと自分を守った方がいいんじゃないか」
「えー、平気だよ」
「……それ、その平気というのをやめろ。それじゃあいつまでたってもカラは離れない」

 付け加えられた言葉に、どきりとする。

「そ、だよね。うん、心配かけてるから。カラに悪い、よね。うん、気をつける」
「……お前は」

 カナの溜息に、私は背筋を伸ばす。

「ご、ごめんなさい!」
「はあ?」
「私、カラのじゃまになってるよね、だよね、絶対そうだ。もう、ほんと……」

 私は飲み物の筒を抱えた。暖かくて、そのわずかな刺激だけで目の奥がヒリヒリとする。

「待て泣くな。泣いたら殴るからな」

 ひとにらみされて、私の涙は涙腺にダッシュで帰る。

「カラにじゃまだと言われたのか」
「いっ、言われてない! カラは言わない!」
「それならお前が泣いても仕方ないだろ」
「うう、はい」

 めんどくさいやつだな、という視線をもらう。何となくその目つきが、ニキといる時と同じように見えて、私は嬉しくなった。

「アニキ……」
「ああ?」

 ああ、目だけで人を殺そうとするのはやめてほしい。


 館さまに仕事をもらいに行こうとした私をカナは止めた。今は休んでおられるそうだ。
 お前もそんな怪我じゃどうせ役立たずだから、適当にしていろと言われたけれど、何もせずにカラとの約束のお昼まで待つのも手すきだし、お昼の手伝いへ行くのも気が引けてしまっていた。

 ――セミナさん。ひょっとして。

 私は首を振って、人目のない木陰に入り込む。

 いや、だって、私がそんなこと考えたって仕方ないし、だめだ。やめよう。

 木の根に座り込むと、ゆうべのことを自然と思い出す。
 暖かかった。泥だらけなのに体を洗わせてくれなかった。汚れていたけど、私の触れる場所は比較的きれいな毛皮だった。
 カラはいつも私を気遣ってくれる。

 ――不意に、気づいた。

 カラが水浴びをしなかったのは、私のため?
 それで、「意味がない」と言ったの?
 濡れなかった意味がないって?

 ――私が体を冷やさないように?

 頭を抱く。
 胸の鼓動がうるさかった。

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