31うれしはずかし



 目を覚ました。一瞬どこにいるのかわからなくなって、すぐに思い出す。そうだ。帰ってきたんだ。
 懐かしい部屋。懐かしい天井。短い時間だけど、生まれたての私にすりこまれた故郷。 鬼の里。
 布団を鼻まであげてくんくんかいだ。知ってるにおいが、肺から体に染み込む。ここで寝起きしてたんだって実感する。

 こんこんって、ノックが聞こえる。と言っても、部屋の区切りは帳だから、実際には柱をたたく音。こんな風に所在を知らせるのは、私の知る限り鬼の里では一人だけだ。
 あわてて布団から這いだして、着物を整えた。
「ど、どうぞ!」
 朝から声を張る私に、帳をかきあげたその鬼はくすくす笑う。
「セミナさん」
 にこりと笑って、その口は私の名前を紡ぐ。くっきりとしたきれいな唇の動き。彼女は音を発せない。ううん、ひょっとしたら、発さないと決めているだけかもしれない。穏やかで包み込むように優しくて、だけどなんとなく緊張する、ミステリアスな鬼。あ、館さまが女性なら、こんな感じかも。
 ふっと昨日の館さまみたいに大声で笑うセミナさんを想像してなんとも言えなくなった。
 セミナさんは膝をついて、胸に抱いた包みをすっと私に向けた。
 包みを解くと、見覚えのある着物。
 私が里を出る前に着ていたものだ。
 あの時はちょっと不満だった。わざと動きにくい服をあてがわれているって。
 でも、ああ、嬉しい。
 嬉しいな。
「ありがとう。セミナさん」
 ちゃんとおかえりって、言ってもらえてる気がする。


 着替えて、朝食の支度を手伝おうとしたら、もうできているよって首を振られた。あからさまにがっかりする私に、セミナさんは仕事をくれた。ミノクシに、朝ご飯を届けてほしいんだって。
 厨房に一緒に戻って、セミナさんが持ち出したのは、大きな葉っぱでくるまれた簡易のお弁当だ。私の両手に収まらない。ああ、それにしても、犯罪的にいい香り! お肉の脂と、炊き立てのご飯、それにスパイシーな香辛料のそれが混ざりあって、思わず唾を飲んでしまう。朝から食べるにはかなり重いと思うけど、ミノクシなら平気だろう。早朝からよくクノマリさんとお肉を奪い合っていたもの。
 ……それに、私も。
 夕べは何も食べずに、お風呂に入って部屋に戻るなり寝入ってしまったのだ。
 私は物欲しそうな顔をしていたに違いない。セミナさんは微笑んで、ミノクシよりも一回り小さい包みを渡してくれた。もともと用意してくれていたんだろう。どちらも同じように温かかった。
「ありがとう! セミナさん大好き!」
 勢いセミナさんの手をぎゅっと握る。目を丸くした彼女は、すぐにっこりと笑い返してくれた。


 ミノクシはすぐに見つかった。
 屋敷を出てすぐ、縁側に座っている。柱にもたれて目を閉じているのは、ひょっとしたら眠っているのかもしれない。
 起こしていいのかな、と一歩踏み出すと、その目がうっすらと開いて、確かに私をまっすぐに見据えた後、またすぐにつむってしまった。立ち止まって、あの、と声をかけたけど、むっつりと元のように、ううん、あえて顔を伏せるようにされた。

 ――なんか、なに?

 あまりいい気分じゃない反応。忙しくてイライラしてるとか、私のことなんてどうでもいいとか、そんな感じ?
 子供っぽいと思いつつ、不安とムカムカを抱いたまま、態度の悪い鬼に近づいた。
 そうすると、わかる。
 髪が脂っぽいし、着物も泥や草の汁がはねて染みになっている。あまり顔色もよくなかった。
 昨日はこんなじゃなかった、よね。

 ――ミノクシは、私が寝てる間、ずっと仕事してたんだ。

 文句の一つもいってやろうと思った気持ちが、急速にしぼむ。言付かったお弁当だけは置いていこうと、縁側にこっそり包みをのせた。自分自身にため息が出る。浮かれてた。鬼の里に帰ってこられて嬉しくて、状況をちゃんと考えてなかったんだ。鬼は誰だって暇じゃない。ああもう、今の私は、どこからどうみても分かりやすく凹んでいるに違いない。
 ミノクシが目を閉じてくれていてよかった。
「おまえ、鬼の仔みたいに落ちこむんだな」
 とっさに振り向く。隣に、ごく近くに、まどろむような緑の目。
 からかう声音。上から私の頭を撫でるときのおどけた声だ。
 だけど、どこか硬質。
「ミノクシ」
「前もそうだったか。いや、もう、おまえのことなんて忘れちまった。知らん。どんな奴だったかなんて、覚えてないな」
 私の呼びかけを無視するみたいに、言葉を継ぐ。なんだかかなりひどいことを言う。
「怒ってるんですか?」
 そうでなければなんだろう。私は違和感を覚えながらも、ミノクシの態度に苛立った。そんな私に、鬼の目は細くなる。ああ、怒ってるというより、恨んでる。
「薄情者め」
 どっちが!
 ミノクシは当然反抗的な態度をとる私に、呆れた顔をした。
「帰ってくるのが、遅いじゃないか」
「え?」
「なんだその顔は。鬼に情がないとでも思っていたのか。俺はてっきりすぐ泣き帰ってくると思っていたんだ。そうでなければ余所へやるものか」

 ええ?

「人が見たいだのと、お前はそもそもなぜ俺に相談しないんだ。文句を言う暇もなかったから俺は物わかりよく認めてやったんだ。一番に俺に言っていれば、ふん縛って倉に閉じこめて、考え直すまで出してやらなかったのに」

 ひどい。
 ひどい、ひどいことを言われている。

 なのに、私はおかしい。
 だって、ミノクシ、それって。

「私がいなくて、さみしかったってこと?」
「調子に乗るな。俺はお前を許してないんだ。お前を見てると腹がむかむかしてくる。お前――」
 がまんできなかった。
「っ、おい」
 気がついたら、ぎゅうぎゅう抱きしめていた。
 だって、だって、怒るくらい、むかむかしちゃうくらい、私がいなくて、さみしかったんだって、そんな、そんなこと言われたら、もう、うれしいうれしいうれしい。

 ミノクシは黙ってそのままいたけれど、
「お前、痩せたな」
 腕を回して抱きしめてくれた。ミノクシこそ、ちょっとやつれてる。
「嘘」
「骨っぽくなってる」
「じゃあなんで今少しよろけたんですか」
 背中を支える手が温かくて切なくて、つい憎まれ口をたたいてしまう。ミノクシはふんと鼻を鳴らした。
「俺だって驚く。なんだと思ってるんだ。お前はいつも……」
 ミノクシは言いかけて、続きを言葉にすることはなかった。代わりに、長いため息をつく。
「兄貴分のようなつもりでいたんだ。だけどそれじゃだめだったのか。お前は御せないんだな。さっさと嫁にしてしまえばよかった」
 私は笑ってしまう。「ミノクシさん」とまた呼びかけたら、彼は一段と不機嫌になる。
「それもやめろ」
「なんですか?」
「他人みたいな口のききかた」
 泥と汗のにおい。獣臭い。関係ない。ううん、むしろ、いつも余裕の彼が真剣に言ってるのがわかって、私はぎゅうっといっそうしがみつく。
 セミナさんも、ミノクシも、どうして狙いすましたみたいに私のほしい物をくれるんだろう。
「ミノクシさん」
「ミノクシ」
「ミノクシ。鬼って、すごいね」
「お前はずるい」
「うん」
 私はずるい。どっちつかずの態度で、みんなを傷つけてるのに、誰も私を正面切って責めない。それに甘えて、今も居心地いい鬼の中で守られている。
「ミノクシは優しいね」
 あったかい。ずっとここにいたくなる。変わらなければいいのに。誰も鬼を恨まない世界ならいいのに。
 でもそうしたら、私はここにいない。
 蛇は、鬼への対抗手段として生まれたものだもの。
 うまくいかないものだなあ。
 穏やかな気持ちで内心つぶやいて、いっそうしがみついた。ミノクシはぽつりと、けれどはっきりと聞こえる声でささやく。
「ずるいのに、お前がかわいいんだ」
 一瞬、頭が真っ白になる。今までの思考の有象無象が、ひたすら遠のいた。自分の形を失うような感覚。
 なのに確かに私の体はここにあった。鬼の触れているところからむずむずするような恥ずかしさが昇ってきて、身じろぐ。そうすると余計に体温が通いあうようで、私はもう指一本も動かせない。ただうめくように鬼の名を呼んだ。
「み、みみ、」
 どもる。呼べてない。
 私の突然の危機的状況に気づいていないはずはないのに、彼は解放してくれなかった。抵抗も忘れた私を抱えなおして、笑う。顔が直に鬼の胸にあたる。耳が心臓になったみたいにバクバクする。笑い声が頭の上から落ちてくる。彼のおかしそうな震えがそのまま伝わる。

 なにこれ。
 なに? この状況。

 頭の中は訳の分からない叫びで埋まるのに、一言も声にならない。だってしゃべったら、近すぎる胸に息が届きそうで、それはとても恥ずかしいことのように思えるのだ。
 ミノクシは私の頭を撫でる。そしてひどく優しい声で、
「俺をからかった罰だ」

 なーんだ冗談か。
 なんて、思えない。
 ミノクシはいつも優しいけど、でも、これは今まで与えられたことのない種類の優しさだ。

 わかる。
 これは、カラがくれる優しさににてる。
 でもそれより、ずっとどぎまぎして、対処に困る。
 胸がはちきれそうになる。
 だから私は、慌てて、残る力を振り絞って、火事場のバカ力。
 この場から離れたい一心で。
 気がついたら鬼の手を振り払って、駆けだしていた。


 あんな。
 あんなミノクシ、知らないよ。
 井戸のふちに額を押しつけて、その辺に転がっていた瓶にしがみつく。冷たさが伝わるけど、全身の混乱と熱はさめるどころかいっそう私の中を駆け回る。じっとしているのが辛くて、無意味に石垣に頭をぶつけてみたり、わーわーうめいてみたりする。発散したい、この気持ち!

「お前、何してるんだ?」
 その声は、私の中の暴れ馬を一瞬で鎮めた。
 すごい。
 天才。
 振り返る。
「カナ」
 その声は冷たくて、厳しくて、普段なら欲しくないけど、今の私にはうってつけ。願ってもない天の助けだっった。
「何をしてるんだ」
 じっと見つめる私を嫌そうに見返して詰問する。実は優しいお兄ちゃん。たぶん、私以外にはもっと普通に頼れる兄貴分なんだと思う。死ぬほど嫌いってわけじゃないけど、進んで世話を焼きたいほど思われていない。そういうとても広い感情の中のどこかに、私は位置づけられている。でも、出会った当初は殺すのに躊躇がいらないってレベルだった。 かなりましになったな私。
「なんでもないよ」
 正直に話す気は全くなかった。どう話せと言うんだよ。
 カナは私の顔を見て、興味をなくしたようだった。というかカナに話しかけられるくらいに今の私はおかしかったんだ。すごいことだ。
 無言で去ろうとするカナの背を、私はふと呼び止めた。
「ニキはどうしてる?」
「その辺にいるから自分で探せ」
 それだけ言ってまたきびすを返す。わかってるけど、ほんとうに愛想ないなあ。
「待って、カナ」
 かなりうっとうしそうに足を止めるカナに、私はなるべく早口で本題を尋ねた。
「カラも、近くにいる?」
 カナは黙ってこちらを注視した。ごく短い間の後に、
「さあな」
 それだけ。
 愛しくてかわいい双子の弟の話なのに、私を睨むでもなく恨み言をいうでなく、ただ存ぜぬという答えだけ残して、カナは行ってしまった。

 おかしい。
 おかしいおかしいおかしい。
 いじわるなら、カナはもっとストレートにひどいことを言う。
 こんなにあっけなくそっけなく、カラに関わる私をやりすごすわけがない。

 私はもやもやを抱えたまま歩きだした。
 探そう。
 あの子に会わなきゃ。会ってカナと何かあったのか聞かなきゃ。

 私は里の中を、カラを訪ねて歩き回った。
 わかったのは、カラを昨日今日見かけた鬼はいないということ。
 ひょっとしたら、今は出かけているのかな。
 井戸の縁に腰掛ける。また帰ってきてしまった。ひょっとしたらまたカナが通りがかるかも、という期待も少しはあったけど、わざわざあの鬼が私がいるとわかっていて同じ道を選ぶわけはなかった。
 今は蓋のされた井戸を眺める。ミノクシ(……)みたいに、夜を徹しての仕事をしてるのかもしれない。里に帰る暇もないのかも。
 夜になったら、帰ってくるかな。
 まだ煌々と輝く日の光を見上げて、私はそんなことを思う。初めて里に来たときは夜だった。親とはぐれた子供みたいな私を、カラは拾って、この里に呼んでくれた。
 感謝してもしたりない恩がある。

 そういえば、館さまは夜は出歩くなって言っていた。
 思い出して、またちょっとおかしくなる。鬼は人を間違えないのに。
 館さまがまじめな顔で冗談を言うなんて、変な感じ。
 仮に襲われるとしたら、犯人はカナくらいのものだ。……本人には絶対言えないけど。
 待ってみようかな、今夜。

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