21柔らかい水面



 香ばしく焼けた不揃いのお肉が、竹串にででんと三つ。お店の横の籠に積まれた色とりどりの果物でできているらしいソースがてらてらに光るその食べものを目の前に差し出されて、私はお腹からせりあがってくるムカムカを、今世紀最大の根性で飲み下す。
 「どうも」とだけ何とか呟いて一本の串を受け取った。隣のユクさんは、出店のおじさんにサービスのお礼を言いながら、もう口に一つ目のお肉をほお張っている。
 いいえ、厳密には一つ目じゃない。『三本目の』一つ目だ。二本さっさと平らげたあと、一本目の二個目のお肉と格闘する私をちらりと見て、お財布の中身を数えて溜め息をつくユクさんに、屋台のおじさんはオマケと称して串をサービスしてくれたのだ。お昼時を過ぎて、人通りが少なくなったせいか、もう残していても仕方ないと思ったのかもしれない。
 まあそれはいい。二個のお肉の時点で結構な飽きのきていた私は、やっと三つ目を口にして、頑張って咀嚼して、飲み込んで、ギリギリで。正直野菜もご飯もなしに肉の固まりをいくつも食べるのって厳しいよね、とコテコテになったお腹と口の中を宥めすかしているところに、優しいおじさんは言ったのだ。
「ほら、お嬢ちゃんも。いっぱい食べてでかくなりな」
 躊躇する私に、ユクさんは追い討ちをかけた。
「遠慮せずにもらっときなよ。おじさん自慢の炭火焼きと、秘伝のタレなんだ。これ開発するのに……何年かかったって言ってたっけ? おじさん」


 受け取った串をじっと見下ろす私をよそに、ユクさんの陽気な声が隣で言う。
「いやあ、得したなあ。やっぱりこの時間が狙い目なんだよね」
 何か言ってる。
 受け取った串をじっと見下ろす。アツアツのてりてりで……うぷ。
「……ハル、食べないのか?」
 ものほしそうな声が聞こえて隣を向いた。顔はまっすぐ正面を向きながら、お肉の重みをなくした串を手持ち無沙汰に揺らしている。危ないから止めた方がいいと思います。
 だけど、提案としては悪くない。というか願ったりかなったり。
 私は口を付けていないお肉の串を、受け取りやすいように傾けて差し出した。
「ユクさん、どうぞ」
「えっ……」
「私はおなかがいっぱいなので、お願いします」
 ユクさんは、いや、とか、そんな、とか言いながら、なぜか辺りをきょろきょろとうかがったあと、咳払いを一つすると、静かに串を受け取った。
「あ……ありがとう」
 もぐもぐとお肉を咀嚼し、ごくんと嚥下する。そんな動きを見つめているのは悪い気がしたし、何よりもうお肉を見つめていたくなかったので、ただついて歩いていると、ふうっと息を吐く音が聞こえた。やっぱり多かったのかなと思ってうかがうと、なにもついていない串を束ねて、こちらを見下ろすユクさんと目があった。
 なぜか恨めしそうに細められる黒い瞳に動揺する。
「ハル」
「はい?」
「君は好きなお菓子とか、あるの?」
「ええっと、求肥とか……」
「求肥!?」
「すみません、なんですか?」
 ユクさんは私の好きなおやつに動揺している。なんなんだろう。求肥おいしいのに。
「求肥は……ちょっと自信ないかな。探してみるけど」
 そのうち頭を掻きながらそんなふうに言われて、私はいよいよ困惑した。
「あの、なんでおやつを探してくださるんですか?」
「……もらいっぱなしは、よくない。あと、君は年下だし」
「年下」
「繰り返さないでよ。情けないだろ」
「……情けない」
 ああ、と納得がいって、もう一度ユクさんを見上げると、明らかにしょげた顔で息をついている。あ、これは傷つけた。
「君は、けっこうきつい」
「ごめんなさい」
「……素直だな」
 困ったような言い方をされる。
 私のは、素直なんじゃなくて、こだわらないだけだと思います。見たくないことを避けるために、すぐに謝るのだ。だから、素直なんて肯定的な言い方は正しくない。
 こんなことを考えながら曖昧にへへへと返すしかない私は、やっぱり素直じゃないのだ。


 買出しに来たという話だけど、町案内を兼ねてくれるのだろう。ユクさんは町の真ん中にあるという広場に私を誘った。町へ降りてくるのに馬車で十五分。そこから徒歩で五分のその場所に、不規則な柄の石畳を見下ろしながらたどり着く。やっぱり人ごみは苦手で、屋台が並ぶ通りはあんまり顔を上げられなかった。
 ……食べ物の匂いに、胃袋が大変だったのもあるけれど。
 そんな私に、ユクさんは鞄をごそごそとすると、白い帽子を引っ張り出して、はいと手渡してくれた。男の人の被れそうにないオレンジ色のリボンが編みこまれたそれをありがたく受け取って被る。広いつばの下で、少し呼吸が楽になる。
 イーシャが渡したのかなと、ぼんやり考えた。

 開けた場所につくなり、ユクさんは「少し座ろうか」と日陰を示した。ちょうど今の時間、木立の影になる場所に、しっかりしたつくりの木製ベンチが置かれている。辞退する余裕がなくて、私はこっくり頷いた。
 ユクさんは飲み物を調達してきてくれると、二十分くらいだから、行ってくるねと、一人で買出しに向かってくれた。
 受け取ったカップに口をつける。甘酸っぱい、柑橘系の癖の少ない味で、するりと喉を落ちていく。落ちつくと、いきなり身体が重くなった。溜め息。貧弱だなあ。むしろ基礎体力はドーピングされている方なのに。
 ――蛇かあ。
 人形なのだ。でも、生き物なのだ。
 鬼でなく、人でない。
 それで良かったんだ、たぶん。だって、鬼も人も、生まれつき私のことを嫌いにならない。
 良かった。そのはずなのに、腑に落ちたはずの真実が、じりじり今になって焼けるのはどうしてだろう。
 疲れて、ナイーブになっているのかなあ。

 少しだけと決めて、飲み物を付属の卓に置く。借りた帽子のつばを下げて、景色から顔を隠した。足りなくて目を閉じる。それでも瞼の裏の血の巡り、風、雑踏、感覚で捉える全部が、自分のものじゃないような気がして、まだ怖い。

 どうすれば、ぜんぶ上手に飲み込めるのかな。


 ぽたりと水の落ちる音がした。帽子が揺れる。目を瞬かせる間に、ばらばら、ざあざあと音は強くなる。びっくりして身体を起こしたけれど、身構えた冷たさや衝撃は降ってこない。代わりにきらきらした飛沫とひんやりとした風が帽子で遮る視界の端を掠めて、髪の先がふわふわ揺れる。恐る恐る、帽子の隙間から光を追いかけて、私は目を見張る。すぐには直視できなくて、しぱしぱと瞬きしてからもう一度顔を上げる。
 ベンチの後ろで、苔むした噴水が水を空へ噴出していた。いびつな石で丸く縁取られた池の中には、飛沫に混ざって赤い色がちらちらとする。金魚でもいるのかもしれない。
 ぴちゃんと姿を隠した赤色の側に、水よりもずっと青い色の影を見つけて、私は目を凝らした。
 青い、人?
 雲が流れて、とくべつ強い光が私の目をくらませる。帽子のつばを引っぱって、影の中でほっとする。再度顔を上げて噴水を見ると、青い影は消えていた。幻覚でも見たんだろうか。
 どのくらいぼうっとしてしまったんだろう。
 もう、ユクさん帰ってくるかなあ。

「やあ、良い天気でまぶしいね」

 気を緩めた矢先、すぐ隣から低い声がして、私はベンチ沿いに横へずずっと逃げる。たぶん絶対膝を擦りむいた。
 帽子を取って、慌てて相手を確認する。木陰の中で、しっとり暗くなっているけれど、間違いない、先ほどの青い人である。
 真っ青な髪を首の横で束ねて、胸へ流している。さっきの今でまとめたらしい。女性的な顔立ちでもないので、なんだか軟派な印象を受けてしまう。 
「まあそう身構えず……怪しい者でもないんだから」
 私はあからさまに警戒態勢をとる。いきなり近づいてくる時点で、すでに怪しい。
 逃げ出すタイミングを測って距離を取ろうとする私に対し、男の人は同じだけ近づいた。その顔にはにこにこと笑顔が貼りついている。
「な、なんですか、手相ですか」
 駅前で声を掛けてくるアレの系統と同じ臭いがする。
「手相? いやいや……ただお嬢さんが人待ち顔のようだから、声を掛けてみた次第で」
「他の人にしてください」
「そうしようにも、人の姿がなくてね」
 言いながら、わざとらしく辺りを見渡している。
 高い鼻、横を向くと髪の影から耳飾がしゃらんと鳴った。この白昼に、黒い外套で肩から下をすっぽり包んでいる。異様だけど、異国の人だろうか。まあ、私だって言えば異国の人だけど。

 しかし参った。目前の怪しい人を警戒しながら窺うけれど、本当に人気がない。ユクさん、買い物が取り込んでいるんだろうか。ていうか、イーシャの言いつけ的に、見張りのないこの状況ってアリなんだろうか。
 変な汗がにじむ。

「君、僕の話をちょっと聞いてみない? なあに世間話のようなものなんだ。肩の力を抜いてくれていいよ」

 ますます体が強張るのを感じながら、男を注視する。演技がかった手振りで空を手繰り寄せながら、眩しそうに目を細めている様子は、私自身の混乱からか舞台の上の俳優のようにきらきらして見えた。

「君……君は、神様っていると思う?」

 勢い帽子をすっぽり被ると、私は回れ右をした。
 とたん、がっしり後ろから腕を捕まれて、本能のやらかした浅はかな行動を後悔する。大抵のスポーツだって、背中を向けたら負けなのに。
「まあ待ちなよ。人の話は最後まで聞くものだと、君の両親は教えなかったの?」
 ばかにしたような声にむっとする。止める理性を一瞬で振り切って、腕を引く先の顔を睨みつけた。我ながら馬鹿だったと、一歩先でにっこり笑う男の顔に頭を抱えたくなる。

「いると思う?」
「……興味ないです」
 目を合わせずに呟くと、嘘でしょ、と間髪をいれずにばっさり言われて、カチンとくる。カチンときたけど、そこはがまんだ。学習、学習。
「ないです」
「嘘だよ」
「どうしてそう思うんですか」
 男の手が離れたタイミングを狙って駆け出そう。それで、誰かにイーシャの家を尋ねよう。領主のお抱えなら、きっと有名なはずだ。
 男は腕を掴む力を緩めも強めもせず、肩を竦めてにやりと笑った。
「神頼みしたくてしかたないって顔で、何言ってるのさ」

 ――たぶん手は離れたのだ。それでも私は立ち尽くして、ふと私の存在を忘れたみたいに空を仰いで微笑を浮かべる男から目が離せない。

 そんなことない。あったとして、こんなどうしようもない気持ちをどうにかしてくれるような神様なんていないのだ。

 動揺の中でくらくらと立っていることしかできない私に、男は髪と同じの深い青色の目を向けて、怖いくらいに柔らかい声で言った。

「僕はマクベティラ。実名は明かせない。というより、神の声を代弁すると決めたときから、過去は捨ててるようなものだしね」

 君の名前は? と同じ調子で尋ねられて、私はやっと自由になった自分の体に気付く。

「どうでも、いいです」
 それだけなんとか震えないように言い捨てて、私は踵を返した。

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